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唐招提寺からバスを乗り継いで、臨済宗大徳寺派・慈光院へと向かいました。

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慈光院は、石州流茶道の祖、片桐石州が父の菩提寺として建立した寺院。境内全体がひとつの茶席として造られていて、その見事な庭園は国の名勝および史跡に指定されています。

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禅寺なのですが、枯山水として一般にイメージされるものよりも豊かで柔らかな印象。

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藁葺き屋根の山門や書院の佇まいが、お寺というよりまるで古民家に遊びに来たようなあたたかい風情を感じさせてくれます。

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庭園と書院の景観が素晴しい慈光院。私は3年くらい前から、奈良へ来る度にここへ足を運んでます。ここでお茶をいただきながら書院から庭園やその向こうの奈良盆地の景色をぼんやりを眺めると、とっても心落ち着くのです。そしてここへ通うもうひとつの理由もあります。実は、ここの精進料理がたまらなく美味しいのです。。。というか、「最初からそっちがメインの目的でしょ?」って、声が聞こえてきますね(笑)。

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ここで供していただく会席の精進料理は、まさに絶品。これが精進料理?と思ってしまう程の充実ぶり。見た目も色味が豊かで美しい。

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食材は基本的にすべてお寺の畑でつくられたものなのだそうです。味噌も自家製。野菜の味が濃厚で、ひとつひとつの料理に手間と愛情を感じます。

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そして、慈光院の名物はこの「玉ねぎ煮」。丸ごと1個の玉ねぎが入っています。トロトロになるまでじっくり煮込んであって、芯までとろけるほどに柔らかい。出し汁のみのシンプルな味付けなのに旨味たっぷり。ここでしか味わえない、比類のない逸品なのです。

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慈光院の最寄りは「近鉄郡山駅」。そこからバスで15〜20分くらいですが、時間帯によってバスの本数がかなり少ないので、時刻表を事前に確認しておいた方がいいと思います。交通の便は悪いのですが、それでも行く価値のある素晴しいお寺だと思います。おすすめです!

慈光院から飛鳥へ向かう途中、少し足を伸ばして當麻寺へ寄り道してみました。思いつきで行ってみたのだけど、これがびっくりするくらいに素敵なお寺だったのです。

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この日は朝からずっと雨模様。でも當麻寺へ着く頃にはいつの間にか雨は上がり、空が明るくなっていました。拝観終了の時間が迫っていたので、急いで階段を駆け上がり東大門から一歩足を踏み入れると・・・そこは、さっきまでとは違う世界に飛び込んでしまったようでした。

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境内を囲む山々には雨上がりの白いもやがかかり、幻想的に浮かび上がる二上山。そして雲の切れ間から落日が斜めに差し込んできて、御堂の屋根を神々しく照らし出しました。その時の「ぞくっ」とするような空気感は特別なものでした。今回の旅の中で、その時の体験が私にとって一番印象深い出来事になっています。

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當麻寺は、中将姫にゆかりの深い寺。中将姫が一夜で織り上げたという「蓮糸大曼陀羅」や、天平時代の塔、白鳳時代の弥勒仏像、日本最古の梵鐘や石燈籠などが有名。国宝・重要文化財も数多く所有していますが、その割には知名度が今ひとつな印象...。正直な話、私もつい最近まで知らずにいました。

後で知ったのですが、當麻寺は今年1月にJR東海のCMで紹介されて、最近になって急に注目が高まったそうです。。「いま、ふたたびの奈良へ」というフレーズが印象的なCM。私も見た記憶があるのですが、ここのことはまったく知らずに来てしまったのでした。。

★このCM→http://youtu.be/z3zaOpltxvw

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「中之坊」という僧院には、中将姫の守り本尊である「導き観音」がご本尊として祀られています。この尊像は女人救済の信仰を集めているそうで、良縁、安産、子授けなどの祈願にここを訪れる人が多いそうです。

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その中之坊にある「香藕園」。大和三名園の一つとして名高い庭園です。

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境内と周りの山々が一体となった美しさに、私は大変な感銘を受けましたが、この日は拝観できる時間がほんの少ししかなくて残念でした・・・。貴重な名宝の数々には出会い損ねましたが、それはまた次の楽しみに。

駅からまっすぐのびる参道には古民家が建ち並び、のどかな情緒があります。

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帰りの道すがら、店頭で見かけた「けはや餅」が美味しそうで、つい立ち止まってしまったお土産屋さん。どうぞお茶でも・・・と声をかけてくれたので、中に入って休憩させていただきました。店主はとても楽しい方で、當麻についての興味深い話をいろいろ聞かせてくれました。

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奈良盆地を挟んで東端にあるのが三輪山。一方で、西の端にあるのが二上山。古代大和の人々にとって、生まれいづる世界の象徴が三輪山であるのに対し、二子山の向こう側は魂が返っていく場所、「あの世」の世界=異界と考えられたそうです。そんな世界観を聞いて妙に納得してしまう程に、當麻という土地は、今も特別な気配を宿しているように感じます。

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ふと脇道に入ってみたら、郷愁を誘うのどかな田園風景が広がっていました。写真集で見るような美しい景観ではないのだけど、これこそが「万葉の風景」なのではないかと、ふとそんな風に感じたのでした。思い入れが過ぎるのかもしれませんが。。。私はすっかり當麻の風土が気に入ってしまったのです。

當麻寺の最寄り駅に戻ってきた頃は、もうすっかり日が落ちて暗くなっていました。急いで明日香村へ移動。この日の宿は「民宿 脇本利夫」。飛鳥の民宿のほとんどは、実際の民家を利用させていただいているのです。

今回泊めていただいた脇本さんのお宅には、なんと築250年の母屋がありました。 実際に私たちが泊めていただく部屋は、敷地内の離れにある一軒家。部屋は15畳くらいあったでしょうか。とてもきれいにしてあって、そこらの旅館よりはるかに快適な設備。しかもその日の泊まり客は私たちだけだったので、離れ一軒を貸し切りで使わせていただいたのです。。。

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楽しみにしていた夕飯は、飛鳥名物の「飛鳥鍋」。鶏ガラ出しをベースに牛乳を入れた鍋なのです。ぱっと見は「大丈夫かな...?」と思ってしまいますが(笑)、牛乳の臭みはまったくなくて、後味あっさりでとても美味しい。 飛鳥時代に唐から来た僧侶が、寒さをしのぐためにヤギの乳で鍋料理を作ったのが始まりとされるいるそうです。確かに、食べているうちにポカポカと体が暖まってきます。飛鳥鍋の作り方は、各家庭やお店によって多少違うらしく、また他のお店でも食べてみたいと思う程、美味しい鍋料理でしたよ。

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奈良と言えば、やっぱり春鹿! 部屋に戻ってから、春鹿の濁りでちょっとだけ晩酌♪

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脇本邸は、「民宿」という言葉が不釣り合いに思わずにいられない、本当に立派なお屋敷。母屋で食事させていただくのですが、家の中には貴重な書画や骨董品がたくさん。。歴史を感じる、素晴しい古民家でした。

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とっても心地よく過ごさせていただいて、朝・夕二食付きで一泊6,000円という安さ(飛鳥の民宿はどこでも共通の料金)。しかも高松塚古墳に近く、天武・持統天皇陵のすぐ隣りという素晴しい立地。

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上左の写真は、脇本邸を外の通りから眺めたところ。右は「天武・持統天皇陵」。

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「天武・持統天皇陵」は、めずらしく被葬者が確定している古墳。天武天皇とその皇后・持統天皇が合葬されています。

持統天皇は自分の子・草壁皇子に皇位継承させようとし、人望厚く才知の秀でた大津皇子を陰謀により失脚させます。計画通り、草壁皇子は皇太子となりますが、皇位を継承する前に20代半ばの若さで他界してしまいます。一方、謀反を企てたと罪を着せられ処刑された大津皇子は、その後、當麻の二上山に葬られるのです。前日に見たあの二上山に、その大津皇子が眠っているのだと思うと、なんだか感慨深い気持ちになりました。いつか二上山にも登ってみなければ。。

一夜明け、この日は朝から飛鳥めぐり。空はまだどんよりとしていましたが、雨はすっかり上がっていました。レンタサイクルを借りて、最初に向かったのは高松塚古墳。丘稜の坂道を越えて行くと、いかにも飛鳥らしい美しい風景が広がっていました。

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これがその高松塚古墳。意外な程にこじんまりとした印象。。 

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高松塚古墳と同じ飛鳥歴史公園内にある中尾山古墳。八角形の墳丘をもつ古墳で被葬者は不明。文武天皇陸との説も。坂を上りきったところにあります。自転車で上るのはかなりハード。

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これがかの有名な「亀石」。確かに亀だ。。。(笑)。なんとも愛嬌のある、かわいい顔をしてますよね。道路から少し入ったところ、民家の並びにぽつんとあってびっくりでした。隣の敷地には地元野菜の無人販売コーナーがありました。。 

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「亀石」には、こんな言い伝えがあるそうです。大昔、大和が湖であった頃、対岸の當麻と川原の間に喧嘩が起こった。結果、湖の水を當麻にとられてしまい、たくさんの亀が死んでしまった。その供養として村人たちが作ったのがこの亀石なんだとか。亀石が再び西を向いたとき、災いが起きると云われているそうです。

ところで、「當麻」という言葉に、またここでも出会いました。。やはりもう一度當麻をじっくり回ってみたくなってきました。

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亀石のある細道の先に、聖徳太子誕生の地に建てられた(と云われている)「橘寺」がありました。田園の中にぽつんとある光景はあまりにも地味で、「ここが本当に??」と思ってしまいます...。押し付けがましさがないところが、奈良の良いところ。

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橘寺は、太子建立7寺の一つとされています。本堂に祀られるのは聖徳太子坐像。創建は奈良時代ですが火事で焼失してしまい、現存する寺社は江戸時代に再建されたものなのだそうです。見るべきものは少ないのですが、この地で幼少の聖徳太子が過ごしたかと思うと感慨深い。

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境内にはこれまた不思議な様相の「2面石」がありました。私の持ってるガイドブックでは聖徳太子のことより、この二面石をピックアップしてました(笑)。

聖倉殿(収蔵庫)の前にこんな万葉歌碑がありました。

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「橘の寺の長屋に吾率宿し童女放髪はあけつらむか」巻16-382(作者不詳)

・・・橘寺の長屋で一緒に寝た、あの振り分け髪の少女は、今はもう大人になっているであろうか・・・の意。なんだかちょっと(かなり?)意味深だけど...(^^;)。ノスタルジックな情感を感じる素敵な歌だと私は思う。

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