バルト三国の旅2011 -Category

ライスヴェス通りをまっすぐ西に歩いて行って、地下道を抜けるとそこが旧市街。それまで歩いてきたカウナスの新市街とは、がらりと街の表情が変わります。

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カウナスの街の歴史は古く、10世紀にまで遡ります。15世紀にはハンザ同盟都市となり、交易の要として繁栄。その後は列強からの侵攻を受けて街が荒廃してしまいますが、19世紀に鉄道が開通すると諸工業が盛んになり、リトアニア最大の工業都市へと発展します。1920年から第二次世界大戦期までの間は、ポーランドに併合されたヴィリニュスに代わってリトアニアの首都となっていた時代もありました。

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旧市街には、ハンザ同盟都市として栄えた時代の歴史的な建物が、今も数多く残されています。けっして規模は大きくないのだけれど、中世の面影を宿す美しい街並。

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印象に残ったのは、画廊やアート雑貨のお店がたくさんあったこと。アーティストたちに愛されている街なのかもしれません。観光客向けの土産品なども、ヴィリニュスよりカウナスの方がセンス良かったように感じました。

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通りがかりの雑貨屋さんで見つけた、とても素敵なブックマークとカード。イラストがとてもかわいくて、木の素材感も作品にフィットしてます(この作家さんのHPを見つけました→http://www.mediniai-atvirukai.lt)。

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赤煉瓦が印象的なこの風格ある建物は、有名な聖ペテロ&パウロ大聖堂。

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15世紀に建てられた教会で、外観がゴシック建築、内部はバロック様式になっています。教会の内部は壁一面を美しいフレスコ画で飾られ、見事な彫刻が施された祭壇も素晴らしい。

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カナウス城は、13世紀にドイツ騎士団からの侵略を防ぐために建てられた城。現在は塔と城壁の一部が残されただけになっています。塔の上の部分も近年に修復されたようです。

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「異民族のキリスト教化」を掲げて、バルト海沿岸地域へ進出した「北方十字軍」は、遠征当初から本来の宗教的な目的を失っており、その実態は「北方諸国の植民地化」でした。ローマ教皇からお墨付きをもらい、世俗最高権力である神聖ローマ皇帝の思惑とも重なって、征服事業は拡大を続けます。その先鋭に立ったのが「ドイツ騎士団」。13世紀、ハンガリー王国から追放されたドイツ騎士団は、異教徒征伐の命を受けてプロイセンの地(現在のカリーニングラード〜ポーランド北部)に活動拠点を移し、先住民であるプロイセン人を制圧。その後も略奪と搾取を重ねながら莫大な富を築き、「ドイツ騎士団領」という軍事国家を形成します。しかし、周辺諸国の貴族を集めて人間狩りツアーを開催するなど、その残虐きわまりない性質と傍若無人ぶりは、後にローマ教皇の怒りを買うほどでした。

ドイツ騎士団は、リヴォニア(現在のラトヴィア西部〜エストニア南部)を征服していたリヴォニア帯剣騎士団を吸収し、さらに現在のリトアニアの地へと侵攻します。それに対し、ミンダウカス王の元に諸部族が結集してリトアニア大公国が誕生。強大な戦力を形成してドイツ騎士団を押し返しました。その後は互いが侵略行為を重ね、拮抗した戦争状態が続くのですが、同じくドイツ騎士団と領土問題で対立を深めるポーランドとの同盟関係が成立。1385年、ついにリトアニアはキリスト教を受け入れ(当初は形式的なものだったようです)、両国は連合国となってドイツ騎士団と対立します。異教徒との戦いという大義名分を失ったドイツ騎士団は激高し、互いの存亡をかけた総力戦へ突入。そしてポーランド・リトアニア連合は1410年の「グルンヴァルト(タンネンベルク)の戦い」で勝利し、ドイツ騎士団に壊滅的な打撃を与えます。ドイツ騎士団は徐々に衰退しやがて消滅。ポーランド・リトアニア連合国はヨーロッパ最大領土の国へと発展し、その後200年に渡る黄金時代を築くのです。

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ドイツ騎士団との攻防に重要な役割を担ったカウナス城。今では朽ち果てた城壁を眺めながら、そんな歴史の一幕に想いを馳せてみました。

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カウナス城を後にした頃は、いつの間にか陽が落ちていました。旧市街をぶらぶらと歩いて、また行き当たりばったりのレストランに入ってみることに。こういう時はほとんどガイドブックのお世話になることはありません。勢いと勘がすべて。。(^^;)

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中に入ってみると、こじんまりとした店内でしたが、とてもいい感じの雰囲気。地元の常連客が中心のお店のようでしたが、はじめて飛び込んで来た私たちに対しても店員の方はとても親切な対応。そしてワインのメニューがとても充実してるようでしたよ。

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ここで注文した料理は、ポークのソテーとサーモンのタルタルソース添え。もちろん、リトアニアの郷土料理というわけではないのですが、ここの料理は本当に美味しかった(写真ではイマイチに見えるかもしれませんが...)。シェフがとても丁寧に料理を作っているのが伝わってくる感じ。今回のバルト三国の旅の中で、一番美味しかったかも。

「Senamiesčio vyninė(http://www.senamiesciovynine.lt)」というお店です。メインの通りから少し奥まった路地にあるので、ぜひ探してみてください♪〈続〉

カウナスに行ったら、必ず行っておきたいのが「杉原記念館」。"日本のシンドラー"と称される杉原千畝のいた日本領事館が、記念館として保存されています。

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第2次大戦中、ナチス・ドイツに追われる避難民たちが、ビザの発行をもとめてここへ押し寄せました。彼らが生き残るための数少ない選択肢の一つが、シベリアを横断し日本経由で国外に逃れることだったのです。杉原千畝は彼らをなんとか救いたいと切望し、ビザの発行許可を何度も日本政府に求めますが、ドイツとの同盟関係を懸念した政府からの返事は冷淡なものでした。しかし杉原千畝は本国の意に背き、自らの良心に従ってビザの発行を決意します。そして欧州での戦火が広がり自分や家族の身に危険が迫る中、連日連夜、寝る間も惜しんでビザの書類を書き続けました。退去の当日も、列車に乗ってからも、ホームに詰めかける人々のために、1枚でも多く一人でも多く救えるようにと、最後の瞬間までビザを書き続けたのでした。彼の真に人道的で勇気ある行動により、約6000人のユダヤ人の命が救われたと言われています。

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住居を兼ねていた旧日本領事館。館内には今も当時のデスクが残されています。このデスクで、杉原千畝は腕がしびれて動かなくなるまで、ひたすらビザ発行の書類を書き続けていました。その場面を想像すると、胸に迫るものを感じます。。

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世界中から賞賛の尽きない杉原千畝ですが、日本政府の彼に対する処遇はまったく冷酷なものでした。辞令に背いたという理由で帰国後に官職を解かれ、外務省から追放のような扱いをされてしまったのです。杉原千畝の名誉が回復しその功績が再評価されたのは、残念ながら我が国の自発的なものではなく、海外からの要請によってでした。彼の消息を求めるユダヤ人たちが、日本政府に何度も粘り強い交渉をし、28年もの歳月をかけて彼の居場所を突き止めたのでした。杉原千畝は生前にイスラエルに招かれ、彼が発行したビザによって命を救われた人々と、軌跡の再会を果たしています。

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裏庭から見た杉原記念館。この右側面にあるドアが記念館への入口になっています。展示室では、第2次世界大戦時の世界情勢についてのパネル展示等があるほか、杉原千畝についての15分ほどのドキュメンタリー映像を観ることができます。

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旧領事館の玄関には「希望の門。命のヴィザ」と刻まれてました。絶望的な状況の中、最後の望みを託してここへ詰めかけた人々にとって、ここはまさに明日への「希望」へと通じる門だったのでしょう。杉原千畝の功績はリトアニアでは広く知られていて、ヴィリニュスにはその名を冠した通りがあったり、彼の偉業を讃えて桜の植樹が行われていたりしています。遠い国リトアニアの地に、日本の桜が咲いてるなんて。素晴らしいですね。。。(今年のニュース記事→http://www.afpbb.com/articles/-/3012632

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ちなみに、「杉原記念館」がある場所は、カウナス新市街の聖ミカエル教会よりもっと東に外れたところ。閑静な住宅街の中にひっそりとあります。地図ではカウナス駅&バスターミナルから近いように見えますが、道なりに歩くと意外に距離があります。小高い丘陵地になっていて、この長〜い階段を登って行くことになります。正直、かなりきつかった。。(^^;) 〈続〉

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「杉原記念館」並びの建物の脇からカウナスの街を見下ろした景色。結構な高さでしょ?

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「杉原記念館」の他に、カウナスでお勧めしたい場所がもう一つあります。リトアニアの国民的画家であり優れた作曲家でもあるチュルリョーニスの美術館。私がカウナスへ行った一番の目的は、この「チュルリョーニス美術館」に行くことだったのです。

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今から20年以上前の1992年3月、セゾン美術館で「チュルリョーニス展」という展覧会が開催されました。まったく知らない名前の画家でしたが、親しい友人が「絶対好きになる絵だから」と強く勧められて会場に足を運んでみると・・・そこで出会ったチュルリョーニスの作品世界に、私はすっかり魅了されてしまったのです。うねるような有機的な曲線と、神秘的な輝きを放つやわらかな色彩。幻想的な物語性に満ちていて、それは素朴なお伽噺のようでもあり、気高い神話のようでもありました。私はもう夢中になって、長い時間かけて作品を観て過ごしました。そして、じっと絵の中の世界に浸っていると、何故かとても懐かしい感覚が込み上げてきたのです。

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チュルリョーニス「楽園」(1909年)/「天使のプレリュード」(1909年)

それから2〜3年後だったでしょうか。ジョナス・メカス監督の「リトアニアへの旅の追憶」という映画にも出会いました。断片的な映像と印象的な言葉が織り重なって、やがてひとつのタペストリーにように編み上がっていく美しい映像作品。その作品の中で、メカスの故郷であるリトアニアの村の風景を見たとき、チュルリョーニスの絵に出会った時の感覚が自分の内でしっくりと重なりました。

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ジョナス・メカス「リトアニアへの旅の追憶」(1972年)

チュルリョーニスの絵と、ジョナス・メカスの映画。・・・きっかけはそれだけ。でもその時から、自分にとってリトアニアという国が自分にとって特別な存在になったのです。こんなにも心惹かれるものが何なのか確かめてみたい。リトアニアのことをもっと知りたい。その大地に実際に立ってみたい・・・そんな想いがこの「バルト三国の旅」へとつながったのでした。。

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そして、ついに辿り着いた「チュルリョーニス美術館」。高まる胸を押さえつつ展示室へと進んで行くと・・・このチュルリョーニスの大きなパネルに出会って、思わず泣きそうになってしまいました。。。

チュルリョーニスが絵を描いたのは、わずか8年ほどの期間。残された作品はけっして多くはないのですが、再初期の作品から晩年の傑作まで、チュルリョーニスの作品を一同に会することができます。こんなにも充実した内容なのに入場料は200円程度。プラスいくらかの料金を払うと、館内を自由に撮影することができます。

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二度の大戦やソ連占領下の困難な時代を乗り越えて、これほどの数の作品が保管できたのは奇跡的なことだと思います。作品保護のため照明がかなり落としてあったのがちょっと残念でしたが・・・チュルリョーニスの作品は低質な紙や画材を用いられてることが多いため、作品の保全には細心な注意が必要なのです。

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チュルリョーニスの作品の一番の特徴は、その詩情豊かで物語性のある幻想的な世界。そして、木、山、鳥、太陽などの自然のモチーフが作品の重要なテーマになっています。その描き方は人間中心の西欧的・キリスト教的な捉え方とは根本的に異なるものを感じさせます。リトアニアの地に脈々と息づいているアニミズム的な世界観が根底にあるのではないでしょうか。だからこそ、私たち日本人にとってチュルリョーニスの作品は、とても親和性が高いのだと思います。

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私がとても気に入っている風景作品「レイガルダス谷」。チュルリョーニスが生まれ育ったドルスキニンカイ近郊の景色。この絵を見たとき、それが遠い記憶の中にある風景のように思えました。自分にとっての原風景であるかのような。リトアニア南部の町ドルスキニンカイは、いつか必ず行ってみたい場所。

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「ソナタ六番」と題された作品の一部。チュルリョーニスの多くの作品が、音楽から着想を得たものとなっています。チュルリョーニスの芸術家のとしてキャリアは、画家としてよりも音楽家としてスタートしました。作曲の分野でも類稀なる才能を発揮し、今日に至って高く評価される楽曲を数多く生み出しています。『リトアニアへの旅の追憶』のバックで流れていたピアノ曲は、チュルリョーニスが作曲したピアノ前奏曲をヴィタウタス・ランズベルギス氏(音楽家であり、チュルリョーニス研究の第一人者であり、リトアニアの元最高会議議長)が弾いたものでした。

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最晩年の大作、「王」。宇宙的な広がりを持った、崇高で神秘的な世界。孤高の幻視者であるチュルリョーニスまなざしには、その先にいったい何が見えていたのでしょう・・・

チュルリョーニスが精力的な創作活動を行った時期は、ロシア帝国からの統制がゆるみ、リトアニアの民族文化復興の動きが活発になり始めた時代でもありました。チュルリョーニスはその動きに大きな刺激を受け、やがて指導的存在となっていきます。「リトアニア芸術協会」の創設では中心的な役割を担い、若い芸術家たちに作品発表の場を創り出すことに奔走。また、各地に伝わる民謡や民芸を収集し紹介するなど、リトアニアの民族文化の復興運動に大きな寄与をしました。その時に湧き上がった潮流が、後にリトアニア独立への大きな原動力となったのです。チュルリョーニスが国民画家と呼ばれる理由は、彼の作品が極めてリトアニア的であり、そして彼の存在そのものが今日あるリトアニアの起点となっているからなのです。

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別の展示室には、これまでに海外で開催されたチュルリョーニス展のポスターが展示されていました。左から2番目のポスターが、東京で開催された時のもの。保存管理に特別な配慮を要するチュルリョーニスの作品は、国外に輸送しての展覧会は非常に難しいそうです。東京で大規模なチュルリョーニス展を開催できたのは、関係者の方々の大変な苦労があったのだと思います。そこに立ち会えたのは、本当に幸運な出来事でした。。

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地下の展示室には、彼のスケッチやドローイング、楽譜、書簡などの貴重な資料が展示されていました。チュルリョーニスの創作の全容を、幅広く考察することができます。

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チュルリョーニス美術館は、リトアニアの国立美術館。1921年に設立され、1944年から現在の名称となったそうです。チュルリョーニスの作品展示がメインになっていますが、リトアニアの民芸作品や企画展の展示室もあります。この周辺には、国立美術館の分館としてたくさんの博物館や美術館が集中しています。

その中で格別にユニークで見応えあったのが「悪魔博物館」。画家アンタナス・ジュムイジナヴィチュースの個人的なコレクションが元になってるそうですが、その後世界中から寄贈が集まって、とてもバラエティー豊かな悪魔像が揃っていました。怖いというより、創意工夫の詰まったユーモラスな悪魔たちが多かった印象。ちなみに悪魔博物館の地下に、魅力的なカフェ&レストランがありました。私は食事のタイミングが合わず入らなかったのですが、メニュー見たらいろんなバリエーションの「ツェペリナイ」があって、とても美味しそうでしたよ。

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ライスヴェス通りからチュルリョーニス美術館へと行く道の途中に、たくさんの十字架が立てられた敷地があるのですが、そこは「ヴィエニーベス広場」と呼ばれています。

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そこに並ぶ石像は、リトアニア独立のために犠牲になった英雄たちなのだそうです。ソ連占領時代は撤去されていましたが、再独立後に再びこの地に建造されました。中央にある記念碑は、戦地となった各地から集められた石で覆われています。文字が刻まれたモニュメントには、この日も鎮魂の火が灯されていました。〈続〉

カウナスのチュルリョーニス美術館に行ったことが、私にとっては旅のクライマックスでもあったのですが、旅はまだ続きます。次の目的地は、リトアニアの首都ヴィリニュス。

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ちなみにカウナスで泊まったホテルは、バスターミナルのすぐ近くにある「Magnus Hotel」。今回のバルト三国で旅で泊まった宿の中で、一番快適なホテルでした。二人で1泊6000円くらい。格別に安いわけではないのですが、部屋はとてもきれいでフロントのサービスもしっかりしてました。ビュッフェスタイルの朝食付きでこの値段なので、充分なコストパフォーマンス。またカウナスに行くことあったらここに泊まるでしょう。

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ヴィリニュスへは鉄道で行く計画だったのですが、駅に行ってみたら次の列車までかなり待たないといけない状況...。時間もったいないので、バスに切り替えました。ガイドブックには「1日11便以上が運行」とか書いてありますが、実際にはかなり間が空く時間帯もあるので、事前に調べておいた方がいいと思います。

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カウナス〜ヴィリニュス間を走るバスは、長距離移動用のバスではなく、地元の人も利用する普通の路線バス。バス停ごとに停車するので、2時間近くかかりました。計画通りには行かなかったのですが、とりあえず無事にヴィリニュスに到着。ヴィリニュス駅がひどくこじんまりとしていてびっくりでした。。

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駅に荷物を置いて、さっそく散策開始。ヴィリニュス駅は繁華街から離れた場所にあるので、その周辺はのんびりとした、生活感漂う空気が流れています。

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夜明けの門に向かって歩いていると、大きな市場に出会いました。ここは有名な「ハレス市場」。1906年に建造された煉瓦造りの建物で、ヴィリニュスで一番歴史の古い、一番規模の大きな市場なのだそうです。

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見た目より市場の奥行きは深く、この煉瓦造りの建物の向こう側にも売り場が続いています。とても美味しそうなベーコン、種類豊富な精肉、見るからに新鮮な野菜や果物、パン、お菓子、惣菜、そして衣料品等、買物心くすぐられる商品で賑わっていました。

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リガの巨大な中央市場とは比べ物になりませんが、こじんまりとした市場ながら、いろんな売り場をぶらぶら見学しながら買物するには、とても楽しい市場だと思います。

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宿から近かったのでその後も何度かここを通りましたが、夕方までほとんどの店が閉まってしまうので、朝に行った方が活気がありましたよ。

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途中で見かけた白黒猫。リトアニアでは猫たちによく出会いました。

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ここが旧市街の南端に位置する「夜明けの門」。かつてここには城壁が築かれ、9つの城門があったそうですが、現存しているのはこの門だけ。門の上部にはリトアニアの紋章が刻まれていました。2階の礼拝堂には、奇跡を起こすといわれる聖母のイコンが飾られています。〈続〉

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