2014年5月のエントリー 一覧

カウナスに行ったら、必ず行っておきたいのが「杉原記念館」。"日本のシンドラー"と称される杉原千畝のいた日本領事館が、記念館として保存されています。

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第2次大戦中、ナチス・ドイツに追われる避難民たちが、ビザの発行をもとめてここへ押し寄せました。彼らが生き残るための数少ない選択肢の一つが、シベリアを横断し日本経由で国外に逃れることだったのです。杉原千畝は彼らをなんとか救いたいと切望し、ビザの発行許可を何度も日本政府に求めますが、ドイツとの同盟関係を懸念した政府からの返事は冷淡なものでした。しかし杉原千畝は本国の意に背き、自らの良心に従ってビザの発行を決意します。そして欧州での戦火が広がり自分や家族の身に危険が迫る中、連日連夜、寝る間も惜しんでビザの書類を書き続けました。退去の当日も、列車に乗ってからも、ホームに詰めかける人々のために、1枚でも多く一人でも多く救えるようにと、最後の瞬間までビザを書き続けたのでした。彼の真に人道的で勇気ある行動により、約6000人のユダヤ人の命が救われたと言われています。

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住居を兼ねていた旧日本領事館。館内には今も当時のデスクが残されています。このデスクで、杉原千畝は腕がしびれて動かなくなるまで、ひたすらビザ発行の書類を書き続けていました。その場面を想像すると、胸に迫るものを感じます。。

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世界中から賞賛の尽きない杉原千畝ですが、日本政府の彼に対する処遇はまったく冷酷なものでした。辞令に背いたという理由で帰国後に官職を解かれ、外務省から追放のような扱いをされてしまったのです。杉原千畝の名誉が回復しその功績が再評価されたのは、残念ながら我が国の自発的なものではなく、海外からの要請によってでした。彼の消息を求めるユダヤ人たちが、日本政府に何度も粘り強い交渉をし、28年もの歳月をかけて彼の居場所を突き止めたのでした。杉原千畝は生前にイスラエルに招かれ、彼が発行したビザによって命を救われた人々と、軌跡の再会を果たしています。

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裏庭から見た杉原記念館。この右側面にあるドアが記念館への入口になっています。展示室では、第2次世界大戦時の世界情勢についてのパネル展示等があるほか、杉原千畝についての15分ほどのドキュメンタリー映像を観ることができます。

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旧領事館の玄関には「希望の門。命のヴィザ」と刻まれてました。絶望的な状況の中、最後の望みを託してここへ詰めかけた人々にとって、ここはまさに明日への「希望」へと通じる門だったのでしょう。杉原千畝の功績はリトアニアでは広く知られていて、ヴィリニュスにはその名を冠した通りがあったり、彼の偉業を讃えて桜の植樹が行われていたりしています。遠い国リトアニアの地に、日本の桜が咲いてるなんて。素晴らしいですね。。。(今年のニュース記事→http://www.afpbb.com/articles/-/3012632

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ちなみに、「杉原記念館」がある場所は、カウナス新市街の聖ミカエル教会よりもっと東に外れたところ。閑静な住宅街の中にひっそりとあります。地図ではカウナス駅&バスターミナルから近いように見えますが、道なりに歩くと意外に距離があります。小高い丘陵地になっていて、この長〜い階段を登って行くことになります。正直、かなりきつかった。。(^^;) 〈続〉

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「杉原記念館」並びの建物の脇からカウナスの街を見下ろした景色。結構な高さでしょ?

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ライスヴェス通りをまっすぐ西に歩いて行って、地下道を抜けるとそこが旧市街。それまで歩いてきたカウナスの新市街とは、がらりと街の表情が変わります。

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カウナスの街の歴史は古く、10世紀にまで遡ります。15世紀にはハンザ同盟都市となり、交易の要として繁栄。その後は列強からの侵攻を受けて街が荒廃してしまいますが、19世紀に鉄道が開通すると諸工業が盛んになり、リトアニア最大の工業都市へと発展します。1920年から第二次世界大戦期までの間は、ポーランドに併合されたヴィリニュスに代わってリトアニアの首都となっていた時代もありました。

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旧市街には、ハンザ同盟都市として栄えた時代の歴史的な建物が、今も数多く残されています。けっして規模は大きくないのだけれど、中世の面影を宿す美しい街並。

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印象に残ったのは、画廊やアート雑貨のお店がたくさんあったこと。アーティストたちに愛されている街なのかもしれません。観光客向けの土産品なども、ヴィリニュスよりカウナスの方がセンス良かったように感じました。

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通りがかりの雑貨屋さんで見つけた、とても素敵なブックマークとカード。イラストがとてもかわいくて、木の素材感も作品にフィットしてます(この作家さんのHPを見つけました→http://www.mediniai-atvirukai.lt)。

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赤煉瓦が印象的なこの風格ある建物は、有名な聖ペテロ&パウロ大聖堂。

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15世紀に建てられた教会で、外観がゴシック建築、内部はバロック様式になっています。教会の内部は壁一面を美しいフレスコ画で飾られ、見事な彫刻が施された祭壇も素晴らしい。

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カナウス城は、13世紀にドイツ騎士団からの侵略を防ぐために建てられた城。現在は塔と城壁の一部が残されただけになっています。塔の上の部分も近年に修復されたようです。

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「異民族のキリスト教化」を掲げて、バルト海沿岸地域へ進出した「北方十字軍」は、遠征当初から本来の宗教的な目的を失っており、その実態は「北方諸国の植民地化」でした。ローマ教皇からお墨付きをもらい、世俗最高権力である神聖ローマ皇帝の思惑とも重なって、征服事業は拡大を続けます。その先鋭に立ったのが「ドイツ騎士団」。13世紀、ハンガリー王国から追放されたドイツ騎士団は、異教徒征伐の命を受けてプロイセンの地(現在のカリーニングラード〜ポーランド北部)に活動拠点を移し、先住民であるプロイセン人を制圧。その後も略奪と搾取を重ねながら莫大な富を築き、「ドイツ騎士団領」という軍事国家を形成します。しかし、周辺諸国の貴族を集めて人間狩りツアーを開催するなど、その残虐きわまりない性質と傍若無人ぶりは、後にローマ教皇の怒りを買うほどでした。

ドイツ騎士団は、リヴォニア(現在のラトヴィア西部〜エストニア南部)を征服していたリヴォニア帯剣騎士団を吸収し、さらに現在のリトアニアの地へと侵攻します。それに対し、ミンダウカス王の元に諸部族が結集してリトアニア大公国が誕生。強大な戦力を形成してドイツ騎士団を押し返しました。その後は互いが侵略行為を重ね、拮抗した戦争状態が続くのですが、同じくドイツ騎士団と領土問題で対立を深めるポーランドとの同盟関係が成立。1385年、ついにリトアニアはキリスト教を受け入れ(当初は形式的なものだったようです)、両国は連合国となってドイツ騎士団と対立します。異教徒との戦いという大義名分を失ったドイツ騎士団は激高し、互いの存亡をかけた総力戦へ突入。そしてポーランド・リトアニア連合は1410年の「グルンヴァルト(タンネンベルク)の戦い」で勝利し、ドイツ騎士団に壊滅的な打撃を与えます。ドイツ騎士団は徐々に衰退しやがて消滅。ポーランド・リトアニア連合国はヨーロッパ最大領土の国へと発展し、その後200年に渡る黄金時代を築くのです。

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ドイツ騎士団との攻防に重要な役割を担ったカウナス城。今では朽ち果てた城壁を眺めながら、そんな歴史の一幕に想いを馳せてみました。

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カウナス城を後にした頃は、いつの間にか陽が落ちていました。旧市街をぶらぶらと歩いて、また行き当たりばったりのレストランに入ってみることに。こういう時はほとんどガイドブックのお世話になることはありません。勢いと勘がすべて。。(^^;)

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中に入ってみると、こじんまりとした店内でしたが、とてもいい感じの雰囲気。地元の常連客が中心のお店のようでしたが、はじめて飛び込んで来た私たちに対しても店員の方はとても親切な対応。そしてワインのメニューがとても充実してるようでしたよ。

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ここで注文した料理は、ポークのソテーとサーモンのタルタルソース添え。もちろん、リトアニアの郷土料理というわけではないのですが、ここの料理は本当に美味しかった(写真ではイマイチに見えるかもしれませんが...)。シェフがとても丁寧に料理を作っているのが伝わってくる感じ。今回のバルト三国の旅の中で、一番美味しかったかも。

「Senamiesčio vyninė(http://www.senamiesciovynine.lt)」というお店です。メインの通りから少し奥まった路地にあるので、ぜひ探してみてください♪〈続〉

一夜明け、さっそく新市街に出てみると、前夜に見た暗く寂しい景色が嘘のよう。

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カウナスは、首都ヴィリニュスに次ぐリトアニア第2の都市。新市街にはオープンカフェやレストラン、様々なショップが建ち並び、劇場や美術館・博物館もこの辺りに集中しています。市内にいくつかの大学があるようで、観光地というより学生街ような雰囲気。もちろん学生ばかりでなく、ビジネスマンや家族連れ、子供たちの姿も多く、街全体にとても活気があります。

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新市街の中央を、東西に伸びるまっすぐな一本道がライスヴェス通り。この美しい並木道に感銘受けるのですが、もしかしたらその背景には、共産主義時代の暗い歴史が隠されているのかもしれません...。

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ライスヴェス通りの東側の端っこにある独立広場と、聖ミカエル教会。元々は正教の教会として建てられたものが、その後カトリック教会に変わったそうです。ソ連占領時代には美術館に変えられ、独立後に再びカトリック教会に戻されました。

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向こう側に見える風格ある建物は、国立大学の"Vytautas Magnus University"。お昼時だったので、校舎からたくさんの学生達が飛び出してきました。

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さて、リトアニアでの最初のランチ。適当に選んだオープンカフェ風なレストランに入ってみました。リトアニアの郷土料理と言えば、一番有名なのがこの「ツェペリナイ」。飛行船「ツェペリン号」に形が似ていることから、「ツェペリナイ」と呼ばれるようになったんだとか。

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このもちっとした外側は、じゃがいもをすりおろして片栗粉で固めたもの。中には肉団子が埋まっています。サワークリームを絡めて食べるのが一般的なスタイルのようですが、他にもソースや具材によって、いろんな種類があるようでした。

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びっくりするのがこのピンク色の冷スープ。。。でも飲んで見ると意外にすっきした味。酸味がきいてます。このピンクの正体は、ビーツにサワークリームを混ぜたものなのだそうです。リトアニアの伝統的な料理ですが、ポーランドでも同じようなスープをよく見かけました。

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これはリトアニアの料理というわけではないのでしょうが、シチューの上にパン生地(ピザ生地?)が被せてあるやつがとても美味しかった。リトアニアではピザが人気のようで、街のあちこちでピザ屋を見かけました。何しろ、ピザの発祥がリトアニアという説??もあるそうです。このお店でも私の周りのテーブルでは、ピザを食べてる人ばかり。しかも大きなピザ1枚を、女性一人でペロリと完食してましたよ。。。

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カウナスの中心となる新市街と旧市街は、東西に渡って横長に連なっています。有名な杉原記念館やバスターミナルがあるのは東の端にあるエリアで、旧市街があるのは反対側の西端のエリア。聖ミカエル教会から旧市街までは、歩くと結構な距離があるのですが、トラムで素通りして旧市街だけ見て帰るのはもったいないです。カウナスの新市街も素敵な街並ですので、ぜひゆっくり歩いみてくださいね。〈続〉

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